大学の歴史散策
熊本大学の学内には五高記念館をはじめ歴史的記念物が多数残っています。
緑豊かな落ち着いた雰囲気の中で、歴史散策をお楽しみください。
(※一部建物は令和4年4月以降公開予定です。開館情報等の詳細は以下のマップ表面に記載の各問合せ先へお尋ねください。)
([印刷用]熊本大学歴史散策マップ 中面 表面 )
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(写真(小)をクリックすると大きい画像ををご覧頂けます)
1. | 表門 重要文化財 1969(昭和44)年 通称「赤門」と呼ばれている五高の表門。五高本館と同じ時期に建設された。煉瓦と自然石を組み合わせた親柱と袖壁からなり、旧豊後街道(現県道337号)に面してその威容を見せている。当初から門扉は作られず、門内には畑もあったようで、夏目漱石の句に「いかめしき門を入れば蕎麦の花」と詠まれた。 |
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2. | 中門 赤門からサインカーブをぬけ、蘇鉄が植えられたロータリーを望む本館の正面に建てられた門。五高時代には左脇に門衛所があった。建設当時は鉄製の優美な門扉があったが戦時中に金属供出され、現在は門柱のみが残っている。門柱の上におかれた門灯と白い柵は五高開校100周年に復元したもの。 |
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3. | 五高記念館 旧制五高本館 重要文化財 1969(昭和44)年 五高の教室棟として、1888(明治21)年2月に着工し、1年半の月日を要して1889(明治22)年8月に完成した。煉瓦を積み目地の漆喰で接着した組積造で、庇や建物内部には西洋風の装飾が施されている。建築は文部省の直轄工事として行われ、文部技師山口半六、久留正道が設計?工事を監督した。旧制高等学校の現存する建物としては、最も古いものの一つ。 |
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4. | 樹木園由来の碑 細川藩の薬草園「蕃滋園(ばんじえん)」が1890(明治23)年廃園になり、薬木薬草150余種が五高に寄付されたことを記念して建てられた。薬草は、五高閉校後薬学部の薬草園(現グローバル天然物科学研究センター薬用植物園)に移植されている。 |
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5. | 龍南健児の像 マントに下駄姿の五高生がきりりと引き締まった表情で遙かな空を見つめ、台座には五高の校風を象徴する「剛毅木訥」の文字が刻まれている。1997(平成9)年に五高開校110周年を記念して東京五高会により建立。 |
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五高寮歌「武夫原頭」の歌碑 「武夫原頭」は、数ある五高寮歌の中で最も有名な寮歌。1905(明治38)年から現在まで歌いつがれてきた。正面には歌詞の最初の一節、側面には五高の横断幕を背に乱舞する五高生の姿が描かれている。1987(昭和62)年、五高開校100周年を記念して五高同窓会により建立。 |
7. | 嘉納治五郎先生の碑 第三代校長嘉納治五郎が揮毫した書の転刻。原本は五高記念館に展示されている。「順道制勝行不害人」(道にしたがえば勝を制し行いて人を害なわず)は自らが創始した講道館柔道の極意を表している。1965(昭和40)年、開校77年周年を記念して五高同窓会により建立。 |
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8. | ラフカディオ?ハーン(小泉八雲)先生の碑?レリーフ 1894(明治27)年1月27日にラフカディオ?ハーンが英語で演説した「極東の将来」の結びの言葉が彫られている。1962(昭和37)年、五高開校75周年を記念して五高同窓会によって建てられた。 レリーフは、ラフカディオ?ハーン没後100回忌に当たる2004(平成16)年に、熊本大学の有志などにより建立。制作は本学名誉教授(教育学部)で彫刻家の石原昌一氏。 |
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9. | 黒本植先生の碑 1893(明治26)年から1899(明治32)年まで漢文の教授として在職した黒本植の和歌が刻まれた碑。もともとは卒業記念樹の標木であったが、1927(昭和2)年12月に石碑となった。黒本植が記した「習学寮十二境記」から武夫原の名前が生まれたといわれている。碑には「栽ゑておくかたみの小松色そへよ学びの園の文の林に」の和歌が漢字で刻まれている。 |
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10. | 第五高等学校跡の碑 1958(昭和33)年、五高開校70周年を記念して五高同窓会によって建立。五高本館を見上げる位置にある。 |
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11. | 夏目漱石先生の碑?銅像?句碑 銅像の脇にある碑には、1897(明治30)年10月10日の開校記念日に教員総代として読んだ祝辞の一節「夫レ教育ハ建国ノ基礎ニシテ、師弟ノ和熟ハ育英ノ大本タリ」が刻まれている。1962(昭和37)年、五高開校75周年を記念して五高同窓会によって建立。1996(平成8)年に建立された句碑には漱石の五高を詠んだ俳句の中から「秋はふみ 吾に天下の志」の一句が刻まれ、傍らの漱石座像は、左手を前に伸ばした姿である。この左手に頭をなでてもらうと頭がよくなると言い伝えられている。 |
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12. | 化学実験場 重要文化財 1969(昭和44)年 本館と同じ時期に建設された煉瓦造りの建物。内部には階段教室、薬品室、実験室が一列に並んでおり、実験室の設備としてランプの上昇気流を利用した排気装置「ドラフトチャンバー」を備えている。旧制高等学校時代の化学実験場として完全な形で残っている唯一の建物。 |
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13. | 習学寮跡の碑 五高本館の北側には4棟の寮が建てられており、五高生はここで寮生活を送った。ここでは、寮惣代を中心とした自治が布かれ、阿蘇登山などの行事が行われた。1991(平成3)年五高同窓会により建立。 |
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14. | 行幸記念碑 1931(昭和6)年熊本で行われた陸軍特別大演習のため昭和天皇が来熊し、五高にも訪れたことを記念して建立。校長武藤虎太と事務筆頭辻内一の名が彫られている。 |
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15. | 旧熊本高等工業学校本館 登録有形文化財 1998(平成10)年 熊本高等工業学校本館として1924(大正13)年に竣工した。文部省技師による設計。創立時は木造の洋風建築だったが、1922(大正11)年に焼失したため再建された。初期の鉄筋コンクリート造りの建築である。 |
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16. | 工学部研究資料館 重要文化財 1994(平成6)年 熊本高等工業学校の機械実験工場として1908(明治41)年竣工した。文部省技手による設計。熊本大学に引き継がれ、1970(昭和45)年に新工場ができるまで実習施設として使用された。館内には明治から大正期にかけて購入された極めて貴重な11台の機械が動態保存(動く状態で保存)されており、建物と共に重要文化財となっている。 |
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埋蔵文化財調査センター? |
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肥後医育ミュージアム(肥後医育記念館2階) (本荘地区) 1756(宝暦6)年に肥後藩主?細川重賢公により創設された医育寮「再春館」から熊本大学医学部まで、常に時代に先駆けてきた肥後医育の伝統と歴史を語る貴重な資料を収集展示している。 |
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山崎記念館 登録有形文化財 1998(平成10)年 (本荘地区) 医学部の中興の祖と称される山崎正董博士の功績を記念して、1931(昭和6)年に建設。末永く保存するため、2006(平成18)年、中央診療棟新築の際、曳家という手法で建物を48メートル移動した。 |
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熊薬ミュージアム(熊薬百周年記念ホール) (大江地区) 開学100年以上の歴史をもつ薬学部に関する貴重な資料や珍しい実験器具の展示をはじめ、くすりの知識などを紹介する様々なコーナーを設置している。 |
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